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ショーケン萩原健一が逝去 [訃報]

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萩原健一逝去
「ショーケン」の愛称で親しまれ、ドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などで活躍した俳優の萩原健一(はぎわら・けんいち、本名敬三=けいぞう)さんが26日午前10時30分、消化管間質腫瘍(GIST=ジスト)のため26日に68歳で亡くなったことが発表され、芸能界からは突然の別れを惜しむ声が上がっています。

『前略おふくろ様』脚本の倉本聰氏が別れ惜しむ
萩原さんが出演した「前略おふくろ様」(日本テレビ、75年)を手がけた脚本家の倉本聰氏(84)は「人間的には問題はあったかもしれないが、役者としては天才だった。ひらめきが本当に凄かった」と別れを惜しみました。

萩原さんはかつて、自分の初ソロアルバムには「前略おふくろ」という歌が入っており、「倉本さんはこの歌が大好きで、引き金になったんじゃないかな」と述懐するなど「前略おふくろ様」への愛着を示していた。撮影当時を振り返り「倉本聰さんとしょっちゅう電話で話し込んでいました」と密度の濃い時間を過ごしたと明かしていました。



倉本氏からは「アドリブは禁止」という注文がついていましたが、萩原さんは「単なる思いつきでなく、綿密な計算に裏打ちされていれば変えてもいいんじゃないか」と語っていました。セリフの区切り一つ一つまで指示する倉本さんの脚本を忠実にたどりながら、自身の独特の間合いを入れた萩原さん。



それまでアウトローな主人公を演じることが多かった萩原さんが、正反対の純朴な青年を演じ演技派へと脱皮したとされる作品となりました。


倉本氏は「20年ぐらい会ってはいなかったが、テレビで亡くなったニュースを見て驚いている」と悼みました。



<前略おふくろ様>
第1シリーズが1975年10月~76年4月、第2シリーズが76年10月~77年4月に、いずれも日本テレビ系で放送。萩原さんが主演。企画・原案は倉本聰氏。東京の下町を舞台に板前の青年と周囲の人々の触れ合いを描いた。

ショーケン萩原健一の〝型破り発言〟集
萩原さんは09年11月、1カ月にわたってスポニチ本紙連載「我が道」に登場。萩原さんらしい表現で自らの型破りな経験を語っていました。

▼「酒もタバコも女も飽きた」 若い時にマリフアナ吸ってさ、ドラッグやって、酒飲んで、女抱いて、捕まって、いろんなことになって、まだ懲りないっていうのはバカだよ。

 

▼「“故郷に錦を飾る”の“錦”を桃井かおりさんが“なんて読むの?”って聞くから“ワタじゃねえの”って答えた」 俺はかおりさんじゃなく、2本撮りのもう1本の方に出てた女優さんに気持ちが行ってて、それどころじゃなかったんだ。

 

▼「太陽にほえろ!は出たくなかった」 最初に来た役の名前は「坊や」だったんだ。坊やはねえだろう。「そんなもんやれるか」って言ったら、今度は「マカロニ」だって。マカロニもねえだろう。



▼(太陽にほえろ!の撮影現場で)「俺が“ボス”って言おうとすると“ブス”になっちゃうわけ」 (石原裕次郎さんと飲んだ)当時のドブロクには防腐剤代わりに猫いらずが入っていたんだよ。翌日になって酔いが覚めても、猫いらずの副作用が抜けないんだ。歯医者に行って麻酔を打たれると口から水がこぼれるでしょ。ああいう感じになるわけ。

 

▼「大河ドラマ“利家とまつ”(02年)の明智光秀のモチーフは、実はウサマ・ビンラディンだったんだ」 織田信長と光秀の関係と、ブッシュ大統領とビンラディンの関係が似てるって思ったわけ。「湾岸戦争」は「長篠の戦い」、「9・11」は「本能寺の変」だと考えたんだよ。

 

▼「(1983年4月に大麻取締法違反容疑で)逮捕される直前、インドのマザー・テレサに会いに行った。本当に大麻をやめたかったんだよ」 実際に会えて胸の内を話したら「捕まります。でも、あなたは大丈夫です。ゴッド・ブレス・ユー」って言われたんだ。






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